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2006年 01月 26日
「本を読み続けるブログ」といってみたものの、全然本を読んでのエントリーを書いてない。
まあこのタイトル自体が、 彼らの多くはグループインタヴューのようなオフィシャルな場では、全てを理解しているような賢い自分を見せる傾向にあります。 日経新聞を読む、ワールドビジネスサテライトを見るビジネスマンになりたいのに、できていない自分。そこを解決してあげたらいいんじゃないのかな、となんとなくわかってきた。 (リクルートの就活生向け会社案内「解放論」の中で、R25のターゲット、20~35才の男性についての記述) という、リクルートに捕捉されるくらいに自分の年代の自意識のテンプレとしてある見栄をそのまま体現したようなものだったのは認めるけれど、このごろ読んでる本が軒並みハズレで、何か書こうとすると否定の言葉ばかりでてくる、というのもありそれを書けばいいのかもしれないが、 あるサイトがリチャード・ジェイムス(エイフェックスツイン)が「自分で曲を作り始める前に、他人が作った音楽を聞いたことが無かった」という様な事を言ったのに噛み付いていたのを見て、当たり前の否定だけというのはみっともないものだ(そりゃ、誰だってリチャード・ジェイムスが音楽聴いたこと無かったなんて思ってないよ)と痛感したというのがあり、エロゲーについてとかばっかり書いていたというわけです。 で、今日読んだ「ゲーム理論を読み解く:竹田茂男」が微妙な本で、ゲーム理論を現実に適用することの誤りについてつらつらと書いてあるわけですが、 著者は国と国がお互いの資源をどう分配するべきかを決定するのが軍事力であり、戦争はその軍事力を知るために行われるサーチ(探索)である。という主張を批判し、戦争はそのような合理的な判断の枠に収まらないカタストロフィー(破局)である事の例として、イラクの場合を挙げる。 「戦争の原因は情報の非対称性なのだろうか。戦争とはカタストロフィーではなく、サーチなのだろうか。なぜサダム・フセインは二度にわたって、世界最強の軍隊をもつ米国とことを構えたのだろうか。」(P258 いや、そりゃだれだってそう思う。戦争の理由はフセインが死にたくなかったからだって。 万事はこの調子でゲーム理論の合理性が取りこぼしたコミュニケーション、フィードバックの重要性から金太郎飴的に例を挙げていくだけの本であり、読者がゲーム理論をあくまで理論であり現実をそのまま記述するものだと錯覚していない限りあまり意味のない本だ。 唯一キッシンジャーやキューバ危機の話は歴史的な物として一応ためにはなった。 で、ココから蛇足) チョムスキーの政治的言説の引用、南京大虐殺被害者を20万人と書いてしまう所、「共通の知識とは、ことばの使用(言語行為)によって実現される経験の共有、相互理解、行為調整などを、知識の面から捉えたものであることがわかる。(P112」と言って舌の根も乾かないうちに「ことばは共通の知識の成立に与さない。われわれは仲間の表情、視線、動作を見るだけで、彼の思考内容が手に取るようにわかる場合がある。(P114」といってしまうトコとかスキの多い本だった。 こういうスキというのは文章を書く前に自分の言いたい事に確固たる自信を持っている時に起こりやすいように思う。自信の無い事を主張するときにはその主張に信憑性を持たせるために細部に目をむけ、考えが間違っていないかを自分自身に問いかけながら書くものだけど、自分の主張に自信をもっているときはその主張自体は文章が書かれている間に正当性を試されず、読み手に対して説得的であるかだけが問題になる。そして後者の場合において著者が確信を持つことに読者も確信を持っている場合、その本を読むことはあまり意味が無いのではないかとも思う。(もちろん実用書は除く)
by kosonetu
| 2006-01-26 06:33
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